経済的DVがきっかけで別居を決意

経済的DVからの脱出離婚

経済的DVがきっかけで別居を決意

 

23歳で海外に渡り、30歳で授かり婚。それは、私の人生の大きな転機でした。

シングルマザーとして新しい一歩を踏み出すまでには、たくさんの葛藤とドラマがありました。

今回は、私が「別居」を決意するに至った一番大きな理由――経済的DVによって奪われた経済的自由と、その重さについて、リアルな体験をお話しします。

なぜ私は別居を選んだのか

別居を決意した理由|経済的DVとは

「なぜ私は別居を選んだのか?」
ここに至るまでには、本当にさまざまな出来事がありました。中でも、私が別居を決意した最も大きな理由は「経済的自由がなかったから」

――つまり、経済的DV(ドメスティック・バイオレンス)が私を追い詰めて行きました。

経済的自由を奪われた日々|私の体験談

私はもともと、目標に向かってコツコツ貯金するのが好きなタイプでした。でも、元夫と暮らし始めてから――「彼の借金返済」や「生活費」で、私の貯金はあっという間に消えてしまいました。

「半年後には大きな収入があるから」
「必ず幸せにするから」

そんな言葉を信じていた私。
いや、ほんとは、「信じているフリ」をしていたのかもしれません。うすうす、現実的じゃないことには気づいていたけど…。でも、気づいたところで貯金は底をついてしまったし、他にすがるものもなくて…。希望を抱くしかなかったんです。

子どもが生まれても、変わらない現実

妊娠して、子どもが生まれても―― 案の定、生活は少しも良くならず、むしろどんどん悪化していきました。

  • 携帯も持たせてもらえない

  • テレビもインターネットも支払えない

  • 電車賃すらもらえず、外出もままならない

私は年子の娘たちを妊娠・出産して、長い間お腹が大きかったこともあり、働くことも外出することも難しくて。本当に、閉じ込められたような毎日でした。

家賃優先で選んだ「孤立の住まい」

その頃住んでいたのは、家賃の安さだけを理由に選んだ、アクセスの悪い場所。
エレベーター無しの急な階段を上がる4階の部屋でした。

電車がないと街にも行けないけれど、交通費を出してもらえるのは病院や母子教室に行くときだけ。
それ以外では、どこにも行けない。誰にも会えない。

「お腹が大きいのに、外に出るのは危ないから」
って。まあ、なんて優しいんでしょうなんてポジティブに考えようともしたけれど…。

彼だけが、携帯を持って自由に外出していて、私はずっと、子どもと静かな部屋で閉じ込められているような感覚でした。

外の世界から切り離された、母子だけの空間

私が住んでいた国では、ケーブル契約をしないとテレビが映らない仕組み。でも、その料金すら払えず、テレビもネットもない生活。音も情報もない空間に、母子だけ。

それでも、娘たちのかわいい笑顔に支えられながら、私は一日一日をなんとか乗り越えていました。

経済的DVって?|見えにくいけど深く傷つく暴力

**経済的DV(ドメスティック・バイオレンス)**とは、
パートナーが金銭を管理・制限することで、相手の自由や自立を奪う行為のこと。

たとえば…

  • 必要な生活費を渡さない

  • 働くことや外出を禁止する

  • お金の使い道を細かく管理する

これらは、見た目ではわかりにくいけれど、心をじわじわと追い詰める暴力なんです。今思い出しても息が詰まるような生活でした。

まとめ

経済的自立は、心の自立でもある

「経済的な自由がない」という現実。このままでは、幸せは訪れないことに気づいた。
それが、私が別居を決めた大きな理由のひとつです。

経済的DVは、気づきにくいもの。
だけど、「あれ?なんか苦しい」「おかしいかも」って思ったら、その感覚は大事にしてほしい。

そして私は、大切な子どもたちの存在に助けられました。泣いたり、笑ったり、抱きしめたり――
「この子たちを守りたい」「笑顔で暮らしたい」その気持ちが、私の背中を押し続けてくれたんです。

ひとりで抱え込まないで|あなたにも自由と笑顔がある未来があるから

もし、今この記事を読んでくれているあなたが「もしかして私も…?」って少しでも感じたなら――

どうか、ひとりで悩まないでください。信頼できる人、専門機関に、まずは話してみてください。

あなたには「自分らしく生きる権利」がちゃんとあります。


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