海外で授かり婚。幸せなはずの毎日は、まさかのサバイバル生活だった
23歳で海外へ、30歳で授かり婚――それが人生の大きな転機に
23歳のとき、夢の海外生活スタート。勉強に仕事にとやりたいことを謳歌して、そして、30歳で授かり婚。まさか自分が海外でママになるなんて…と、当時はちょっとワクワクしていました。
でも、そこから始まったのは「幸せな結婚生活♡」とはちょっと違う現実。まさに波瀾万丈。そんな中でも、なんとか家族を守ろうと必死だったあの頃の話をお話しします。
「明日が見えない…」そんな不安の中にも、光はきっとある。当時の私と同じように悩んでいる人に、少しでも届いたら嬉しいです。
夫の無職と浪費で家計が崩壊。毎日がサバイバル
夫は仕事が長続きせず、無職に。
収入が入っても、夫のスマホや趣味に散財してしまって…。
家計は火の車。
「これ、どうやって明日生きるの?」って、そんな毎日。
妊娠中の食事は「パンケーキだけ」の日々
一番しんどかったのは、妊娠中。まともな食料も買えなくなって、小麦粉・卵・水だけのパンケーキの毎日が数日続いたこともありました。
朝は甘め、夜はしょっぱく。味に変化をつけながら、なんとか乗り切りました。
お腹の赤ちゃんに栄養が届いてるのか心配そんな日々でした。
心の支えは「母子教室」。仲間との出会いに心がほぐれた
出産後、週2回ほど通った母子教室は、私と娘が外の世界と交流することのできる唯一のリフレッシュタイム。子どもと歌ったり、ママ同士でおしゃべりしたり、先生に子育ての悩みを聞いてもらったりと心がホッとする時間でした。
ある日、5人の子を育てているママに「大変じゃないの?」って聞いたら、「一人でも五人でも、大変さは同じよ〜!」って笑い飛ばしていて、私も同じように逞しいお母さんになりたいなと思ったものです。
日本人ママとも出会えて、たわいもない会話が心の支えになりました。
フードバンクが、私たちの命綱だった
母子教室が行われていた病院にはフードバンクがありました。教室の帰りに誰もが食料や衣類を分けてもらうことができ、この仕組みに幾度もなく助けられました。
シリアルや缶詰、パスタ、ベビーフードなど日持ちのする食材をたくさんカートに詰めて、子どもをおんぶして大きな荷物を引き、電車を乗り継いで帰りました。食材の確保は私の大事な役割の一つでした。
母子教室の日の夕飯はトマトソースパスタ。当時の私たちにとってはご馳走にありつける特別な日でした。
フードバンクって?
フードバンクは、困っている家庭に食料や日用品を無料で提供してくれる支援団体です。地域の社会福祉協議会や市区町村に相談すると、利用方法を教えてもらえます。
離れていても届いた親の愛|両親の声が心を救ってくれた
経済的にどれだけ苦しくても、そのことを親に打ち明けるのは、なかなかできませんでした。でも、国際電話で両親の声を聞くたびに、心がじんわりと温かくなりました。
長い間、帰国もせず海外で自由奔放に生きてきた私。そんな”親不孝な娘”にも、愛想を尽かすこともなく、遠くから見守ってくれていた両親には感謝しかありません。
出産間近になっても、赤ちゃんの服も買えなくて…。そんな不安いっぱいの私のもとに届いた両親からの小包には、ベビー服や私の好きな食べ物がぎっしり!
日本から届いた段ボール箱を開けた瞬間、涙が止まりませんでした。
子供ができてからは特に両親の偉大さを改めて感じるようになって、ますます両親が恋しくなりました。
遠く離れた海の向こうから、いつも私たちを応援してくれていた両親。その存在は、今も変わらず、私にとって、かけがえのない支えです。
あの頃の私へ、そして今悩んでいるあなたへ
今思い返すと、「本当によく頑張ったね」って、あの頃の自分に言ってあげたい。
どんなに厳しくても、必ず希望や支えは見つかります。
このブログでは、シングルマザーとしての体験、心の支え、経済的に自立するまでの道のりを綴っています。
同じような気持ちの人と、少しでも気持ちを分かち合えたら嬉しいです。
最後にひとこと|ひとりで抱え込まないで
もし今、あなたがつらい状況にいるなら――
どうか、ひとりで抱え込まないでください。
フードバンクや母子支援制度、地域のサポートもあるし、
同じ境遇の仲間とのつながりも、きっとあなたの力になってくれます。
「助けて」って言っていいんです。
あなたの毎日に、少しでも希望の光が届きますように。
関連リンク・相談先
地域の社会福祉協議会や市区町村の相談窓口も、ぜひ頼ってくださいね。